オンラインで学べる動画講座ページができました

陳希夷は科挙の試験に落第し、仙道を志して紫微斗数を作った

 紫微斗数をご存じでしょうか?宋の時代に、陳希夷(ちん-きい)という道士によって開発された占い、それが紫微斗数です。彼は幼くして両親をなくし、5歳のとき川辺で遊んでいたら、青い衣を着た不思議な婦人に拾われました。

その女性こそが、九天玄女(くてんげんにょ)の化身。

 かの三國志で活躍した諸葛孔明も奇門遁甲という占いを九天玄女から授かったと伝えられています。陳希夷は秀才との誉れ高く25歳の若さで進士に推挙されたのですが、科挙の試験に落第してしまいます。権力への興味をなくしてしまい、詩人として名声を得たのですが、これもすぐに飽きて仙道を志しました。

 そして武当山(ぶとうさん)という道教の霊山に籠り、それから二十余年、導引術(どういんじゅつ)の修行に明け暮れました。70歳を過ぎたころ、ついに彼は、神通力を駆使できるようになったのです。そんな彼の噂を聞きつけ、五代十国の皇帝たちは、召し抱えようとしたのですが、いつもその誘いを丁重に断っていました。

960年のこと、陳希夷は、ある予言をします。

「宋の国が戦乱を収めて統一する」

見事、これが的中しました。その実力に感銘した宋の皇帝は、4回にわたって陳を招聘します。が、彼はやはり辞退します。しかし5回目にして、ようやく皇帝が用意した寺院に住むことを承諾しました。

 それが976年のこと。それから晩年の40年間を、そこで過ごすことになったのです。あるとき皇帝は道術の秘伝を教えてくれるように望みました。すると彼は言いました。

『道術など、何の役にたつのでしょうか?それより陛下は、国の経営や政治に専念すべきでそのほうが世の役にたちます。陛下は、その才能をおもちです。そうした道を歩むことのほうが、道術を極めることより、ずっと立派なことなのですよ』

 この言葉で皇帝は、ますます彼に心酔したのです。その後、陳希夷は自分の知識を後世に伝えるため、著述作業に専念しました。有名な書籍として、人相学の決定版『神相全編』があります。伝説では、『紫微斗数全書』や『河洛理数(からくりすう)』などの占いの秘伝も書いたとされます。

 983年のこと。陳希夷は自分の死を予言しました。遺書をしたため、弟子に石室を作らせ、そこに横になったとき、118歳の天寿をまっとうしたのです。彼の遺体は死後もしばらく体温を保ち続け、五色の雲がたちこめていたと伝えられています。

 つまりそれは、彼が神仙界に昇天したことを暗示しているのでしょう。そんな伝説的な人物が生んだとされる東洋の占星術。それが紫微斗数です。

さて、今月19日の日曜日、『紫微斗数フェス』が開催されます。昨年からはじめて、今回で2回目の開催です。

https://harajuku-uranai.com/230219shibitosu_fes/

本には書けない!
Youtubeで話せない!
紫微斗数のマル秘テクニック満載

 13時から17時半ごろまで、長時間4コマでお送りします。通しで購入されますとかなりお得なお値段となっています。もちろん当日参加できなくても録画動画を何度も見ることができます。

13時から紫微ホラリー
14時から前世の見方
15時から紫微タロット
16時から紫微風水
という演目です。