いま、ぼくは紫微斗数14主星のシリーズを毎日のように執筆しています。紫微斗数には、多くの謎めいた伝説があります。言い伝えによると宋の時代に陳希夷(ちん・きい)という道士によって始められたとされています。その生涯は謎が多くゆえに正確な情報は誰も知りません。通説では、864年に現代の河南省で生を受けたとなっています。
幼くして両親を無くした彼が、5歳のときのこと。川辺で遊んでいたところに、青い衣を着た不思議な婦人に拾われ養育されました。伝説によると、その女性は九天玄女(くてんげんにょ)という女神の化身だとされています。彼の生きた時代は、まさに戦乱の時代。そんな時代ではありましたが、陳希夷は勉学に励み、高級官僚の道を志したのです。
秀才との誉れ高く25歳の若さで進士に推挙されたのですが、科挙の試験に落第してしまい、それを機に彼は権力への興味を無くしたのです。詩にも関心を持つようになり、名声を得たのですが、これもすぐに飽きて、ついに仙道をこころざしました。そして武当山(ぶとうさん)という霊山に篭もり、それから二十有余年、導引術(どういんじゅつ)の修行に明け暮れました。
70歳を過ぎた彼は、神通力を駆使できるようになったのです。そんな彼の噂を聞きつけ、皇帝たちが召抱えようとしたのですが、いつも誘いを丁重に断っていました。960年のこと。陳希夷は、ある予言をします。
「宋の国が戦乱を収めて統一する」
見事、これが的中しました。その実力に感銘した宋の皇帝は、4回にわたって陳を招聘します。でも彼は、やはり辞退します。しかし5回目にして、ようやく皇帝が用意した道教の寺院に住むことを承諾しました。
あるとき皇帝は、道術の秘伝を教えてくれるよう望みました。すると彼は、「道術など、何の役にたつのでしょう?それより陛下は、国の経営や政治に専念すべきでそのほうが世の中の役にたつ。陛下は、その才能をお持ちであられます。こうした道を歩むことのほうが道術を極めることより、ずっと立派なことなのですよ」と答え、皇帝はますます彼に心酔したのです。
その後、陳希夷は自分の知識を後世に伝えるために著述作業に専念しました。983年、陳希夷は自分の死を予言しました。遺書をしたため、弟子に石室を作らせ、そこに横になったとき、118歳の天寿をまっとうしたのです。彼の遺体は死後もしばらく体温を保ち続け、五色の雲がたちこめていたと伝えられています。そんな伝説的な人物が生んだとされる東洋の占星術。それが紫微斗数です。
さて、『シリーズ紫微斗数14主星』の第2弾、天機星の取扱説明書がゆっくりと売れています。
この『天機星のトリセツ』は、前作からわずか2週間でのスピード出版となりました。ちなみに第3作は『太陽星』で第4作が『武曲星』なのですが、両者ともすでに原稿は完成しています。今月中にリリースできそうで、それは校正者の努力に委ねます。
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