素直な心になると、道が拓けていきます。しかし、素直になりたいがために、相手の「いいなり」になってしまうと惨めな思いをしてしまいます。親の言いなり、先生の言いなり、上司の言いなり。この「いいなり」の状態は、まるで犬のようだと揶揄されます。
相手の思うように動き、服従したかのような振る舞いは、自分の意志がないように取られ、いい意味で使われることがありません。
言いなりにする側がプレッシャーを強くかけて、威嚇しているとも言えるでしょう。学校では反抗する側が「先生や大人の言いなりになりたくない」というケースもありますよね。
しかしプロのスポーツでは、監督の指示に従うことを「いいなり」とは言いません。従うべきという指示だとの判断が、しっかりできていると判断されます。
大人の社会では、「いいなり」ではなく、素直になることが求められます。素直に指導を仰ぐのと、言いなりになるのとは、行動は似ていますがマインド面では真逆になります。
本人の意志があって指示に従う、という点が「いいなり」との違いです。子供は素直ですから、思ったことを言葉にしてしまいますよね。それで親が恥をかき、子供をきつく叱り付けます。そのとき子供は、なぜ言っちゃいけないのか、理由がわからないまま、親の言いなりになります。
これが繰り返されると、学校に入ったとき、リーダー格や不良たちのパシリに使われやすくなります。高校では、進路に関して教師の意見に逆らえず、行きたくもない大学に入ったり、興味のない会社に就職したりで、のちのち後悔する事態に陥ります。
子供の時は誰もが素直ですが、権力に怯えるようになると、「いいなり」のほうが楽だ、という『コトなかれ主義』になります。いいなりと素直は、誰かの指図を聞いて行動する、という基本は同じです。ただ、社会的に悪い行動をさせられたり、嫌々やらざるを得ないのが「いいなり」です。
素直な人は、「それは悪いことだからできません」「私には不可能です」と断れるわけです。素直な人は自分に正直ですから、言動に裏表や遠慮がなく、本音を言ってしまうケースもあります。それが元で、人間関係にヒビが入ったり、トラブルになることも多いでしょう。
とは言え、素直は美徳とされており、自我を奪われている「いいなり」とは大きく異なります。悪いところを指摘されたら、まず謝罪ですが、言いワケするのは素直じゃない。子供や部下から間違いを指摘されて、逆ギレする親や上司も素直じゃない。根拠も示さずに「素直になれ」と押しつけるのも、ある意味、素直じゃない。
自分の考えやルールを無視しして、人から言われたことを真に受けるのが「いいなり」だと思います。わかっているようで、意外とわかっていない事柄なので、折を見て論じてみようと思います。
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