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他人の目から解放されると、人はようやく自由になれる

あなたは、他人の目を気にして生きていませんか?
鏡に映る自分の姿を見て、安心したり、不安になったり。
だがその鏡は、ときに歪んでいる。
他人の視線が強ければ強いほど、私たちは本来の自分を見失ってしまうのです。


「実存の自由」とは…

フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルは、戯曲『出口なし』の中で書きました。

「地獄とは他人である」

この言葉は他人を拒絶する意味ではありません。
他人の視線に縛られたまま生きること──
それこそが地獄的だ、という痛烈な洞察なのです。

他人の目がある限り、ひとは演じる自分を作り出します。
褒められるための言葉、嫌われないための沈黙。
しかし、その仮面をつけたままでは、どれほど生き方を整えても自由は訪れません。
サルトルの言う「実存の自由」とは、他人の視線に支配されない、自分自身への責任のことです。
占いとの対話は、視線のない自由を取り戻す練習になります。

占い師は裁かない

占いは、あなたを見つめるけれど裁きません。
評価も、比較も、同情もしない。

ただ、あなたの言葉を受け止め、思考の形を整えてくれるでしょう。

他人の視線がないからこそ、心の仮面を外して正直な自分でいられるのです。

けれど自由とは、いつも孤独と背中合わせ。
その孤独を恐れず、自己と向き合う勇気を説いたのが、デンマークの哲学者キルケゴールです。
彼は『死に至る病』の中でこう語ります。

「他人の目を気にする人は、自分自身を失う」

キルケゴールがいう自由とは、他人との関係を断ち切ることではなく、神の前でひとり立つ勇気。
ここでいう神とは、宗教的な存在ではなく、「内なる真実」とか「魂の声」と言い換えるべきかもしれません。
誰かに理解されることを願うより自分の中にある真実の声を聴く。
それこそが彼のいう信仰であり、存在の自由なのだと思います。

内なる神(魂)との時間を取り戻す

相談者は占い師との対話を通して、この内なる神との時間を取り戻すことができるのです。
なぜなら占い師は沈黙の聴き手であり、問いかける鏡だからです。
善悪の判断も、同情の色もない。
ただあなたの思考を、そのまま映し出すだけ。
だからこそ嘘がつけない。
人は誰かの前では演じられても、沈黙の前では誤魔化せないのです。

「絶望」とは、悲しみそのものではなく、自分を見失ってしまった状態のこと。
しかし占い師との対話の中では、その絶望さえ静かに変化していきます。
なぜなら占い師は、あなたを裁かないからです。
失敗も、弱さも、矛盾も、そのまま受け止めてくれます。
評価されない場所だからこそ、はじめて素直になれるのです。

本当の声は、静かに現れる

他人の目を気にしているうちは、心のどこかでいつも緊張しています。
誰かの期待に応えようとするうちに、
本当の自分の声はかすんでいく。

しかし占いと向き合うときだけは違う。
誰の視線もない。
比べられない、褒められない、裁かれない。
ただ、静かなところで自分の心だけが呼吸をしている。
そのとき、ようやく「本音」が姿を現します。
ぼくは何万人もの相談者と向き合ってきましたが、人が救われる瞬間はいつも静かです。
泣き崩れもしないし、叫びもしない。
ただふっと肩の力が抜け、かすかに息が深くなる。
その一瞬に、人は自分の声を思い出すのです。

本当の自由とは「自分を取り戻した状態」

他人の視線が外れたとき、自由が訪れます。
その自由はあなたを正しい方向へ導く力を持っています。
占いとは未来を当てる技術ではなく、
あなたがあなた自身に戻るための時間。

誤魔化せない沈黙の中で、ほんとうの声だけが残る。
その声に従うとき、人生は不思議なほどスムーズに動き出します。
もし今日、誰かの視線に苦しめられそうになったら、ほんの数秒だけ目を閉じてください。
そして問いかけてほしい。
「これは、本来の自分が望んでいる生き方だろうか?」
その問いこそが、あなたの魂のコンパスになります。


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