占いの世界に身を置いていると、昔から霊妙な話をよく耳にします。
「落武者の霊が見える」
「神様の声が聞こえる」
「守護霊が語りかける」
「龍がついている」
「前世が分かる」
そういった、不思議で怪しげな話です。
もちろん、世の中には理屈や科学だけでは説明できないこともあります。
人間の感覚では説明しきれないことも、確かにあるでしょう。
しかし、長くこの世界に身を置き、東洋思想や宗教史を学んできて、はっきりと思うことがあります。
それは、「霊的なものが見えることと、真理を掴むことは、まったく別だ」 ということです。
狐という境界の存在
東アジアでは古くから、狐はただの動物ではありませんでした。
長く生きた狐は霊力を得て、人に化け、人を惑わし、未来を知る。
「九尾の狐」などは、その象徴的な存在です。
妖しく、美しく、賢く、そして時に人を狂わせる。
狐とは、人と神のあいだ、現実と幻のあいだを往来する境界の存在として語られてきました。
この観念が日本に入ると、さらに複雑な姿をとります。
それが、稲荷信仰です。
狐は神の使いとなり、五穀豊穣や商売繁盛を司る眷属として祀られました。
しかし一方で、民間には別の狐が現れます。
たとえば 管狐(くだぎつね)。
竹の管に入れて飼い、人のために働かせる小さな霊狐です。
富をもたらす代わりに、家を蝕み、人の運を食う存在として恐れられました。
神の狐。
妖狐。
呪術の狐。
同じ狐に感じますが、その意味は幾重にも分かれていきました。
陰陽道の世界
陰陽道の世界にも、狐の物語は入り込みます。
陰陽師・安倍晴明の母が白狐であったという「葛葉伝説」はその代表です。
しかし、本来の陰陽道とは霊能ではありません。
天文を読み、暦を作り、方位を判断する。
言うなれば、知の技術です。 ところが民間では、陰陽師と祈祷師と霊能者が混同されていきました。
そして狐の物語もまた、混ざり込んでいったのです。
禅の世界で語られる「野狐」
ここで思い出す言葉があります。
禅の世界で語られる 「野狐(やこ)」です。
禅では、霊的体験や神秘体験に執着することを『野狐禅』 と呼びます。
・光が見えた。
・声が聞こえた。
・霊が見える。
そういった体験は、悟りとは何の関係もない。
むしろそれに酔えば、人は道を外れる。
それが「野狐」だ、と。
ぼくはこの感覚がとても大事だと思って、活動しています。
占いの世界にも野狐は多い
占いの世界にも、野狐は少なくありません。
・神様が降りてくる。
・前世がすべて分かる。
・落武者の霊が見える。
・守護霊が語りかける。
そういう話はいくらでもあります。
しかし、その話には再現性があるのでしょうか。
技術として、人に伝えられるのでしょうか。
霊の話をする人のそばにいると、ときどき妙な感覚を覚えることがあります。
どこか、不思議な体臭がある。
香水でもなく、汗でもない。
もっと説明しがたい匂いです。
昔の人は、こういうものを「狐の匂い」 と呼んだのかもしれません。
狐に化かされるとは何か
管狐が働くと、人の過去を鋭く読み当てると言われます。
しかし、人の言葉を丁寧に聞けば、ある程度のことは誰にでも分かります。
問題はそのあとです。
未来を、それらしく語る。
根拠もなく、構造もなく、ただそれらしく。
そして人を、ほんの少しずつ誤った道へ誘う。
目的などない。
ただ、彼らの衝動なのです。
いわゆる愉快犯の根源なので、見破られると自ら尻尾を撒いて逃げていきます。
しかしやがて金は尽き、人は離れ、ついには病魔に侵される。
これは呪いの話ではありません。
根拠のない神秘は、人の判断を狂わせる。
狂った判断は、必ず運命を歪める。
狐に化かされるとは、外にいる狐のことではない。
自分の心の中の狐、そのことです。
占い師に必要なもの
占い師に必要なのは、霊的な派手さではありません。
もっと地味で、もっと静かなものです。
観察、訓練、言葉、構造。
そして、因果を見誤らない目。
それがなければ、どれほど不思議な話をしても、結局は野狐なのです。
人の運命を変えるもの
そして最後に、ひとつだけ。
人の運命を変えるのは、霊ではありません。
守護霊の一言でも、前世の物語でもありません。
変えるのは、選択と行動です。
占いとは、神秘で人を酔わせるためにあるのではない。
その人が今日をどう生きるか。
明日をどう選ぶか。
そこへ導くために、占いはあるのです。
星読み師taka(中島多加仁)


