Taka先生コラム:インド占星術から中国占星術へ
占いは、複雑なほどよくあたります。そして単純なほどあまりあたらないものです。
それを解決するために紫微斗数が生まれました。つまり単純なのによく当たる。そういう占術を編み出したわけです。
いま香港や台湾で、もっとも親しまれている占術、それが「紫微斗数」です。
この占いを最初に知ったとき、多くのひとが、
「西洋占星術に似ているなぁ」
と感じるはずです。
しかし、この術を追求してゆけばゆくほど、
「いや、西洋占星術とはまったく違う」
と気づくようになります。
西洋人と東洋人の違いが、それぞれの占法の性格によく現れています。
厳密にいうと、西洋占星術で使う星たちは、実際の運行から見るとかなりズレが生じています。「占星術は天文学と密接である」とする常識から考えると、本来は当たらないはず。にもかかわらず、当たるのには理由があります。
それは西洋占星術が、人間の心理面を得意とする『心理占』だからです。
さて、西洋人に比べてインド人は、とても合理的で徹底した性質をもっています。国を挙げて占星術用の天文台を設置し、星のズレを修正しているほどです。
それゆえ、その精密度や適格性も、われわれ東洋人にとって有利なものとなり、しかも詳細な用件に対して判断できるようになりました。
にもかかわらず、インド占星術が日本で流行しなかった最大の理由があります。
あまりにもマニアックすぎるという点です。それを解消したのが中国人でした。インド占星術は、西洋と同じく実際の星を使いますが、細かく補修することによって、その精密度をあげました。そのため人間が生まれ持ったカルマ(全盛からの因縁)を考察することができるようになったのです。それがインド人の神秘思想とあいまって、より深い占術へと進化させたのです。
インド人と比べて中国人は、とても現実的な価値観を持っています。ですから、東洋哲学にのっとりあえて架空の星を用意して、実際の生活面で必要な情報を判断できるようにしたのです。つまり、心理面が分かる西洋占星術から、カルマ的考察ができるインド占星術が生まれ、最終的に現実社会を知るための紫微斗数が誕生したのです。
ただし、なんといっても原型は漢民族(昔の中国人)のためにつくられた占星術。そのまま使ったところで今の日本人にはしっくりしません。
考えても見てください。もともと漢民族は、吉凶を知りたがる民族なのですよ。
「私は、この男性と相性がいいですか?」
「いえ、残念ながら、結婚したらとても苦労します。別れた方が良いでしょう」
「わかりました。では、ほかの男性を探します」
こんな感じで、女性といえども割り切ったクールな面が漢民族の特徴です。
日本人女性なら、深く思い悩んでしまいますよね。
で、悩んだあげく、それでもその男性と一緒になる人が多いでしょう?
だから4組に1組が離婚する時代となったのです。
そのため現代日本の紫微斗数は、吉凶をわざと甘めにして、その対処法を提示できるように改良されているのです。
昨今の日本人の心理を覗くと、
「ただ良いか悪いかを知りたいのではない。対処法を教えてほしい」
ということがわかります。
そういう意味で占星術というのは、その時代や民族性を考慮して、どんどん改良する必要があるのです。
ともあれ東洋占星術は、古今東西の学問的な集大成なのです。
各人種や地域、それぞれの時代のエッセンスが凝縮された濃厚な「本格命術」なのです。
紫微斗数という占いは、まだまだ知名度が低いです。これまでは、
「人間の性格や能力、さらに一生の運命を判断する本格的な占いってなに?」
と質問されれば、多くの人がまっ先に四柱推命か算命学と答えていました。
また関東地方では、かなり以前から『九星気学』が主流ですが、言うまでもなく四柱や算命の足元にも及びません。なぜかと言うと、九星気学は「産まれた年」と「産まれた月」のみを見て判断する、とてもおおざっぱな占いだからです。
四柱推命とは、その名が示すように「産まれた年の柱」と「月の柱」そして「日の柱」さらに「時間の柱」という4つの柱によって運命を推し量る術なのです。
ちなみに算命学は、別名「天中殺占い」として有名ですが、生年月日のみで占いますので、四柱推命よりはかなり判断が甘いとされています。
それらと比べてみると、紫微斗数はあまりにも無名すぎます。
その理由は、やはり「産まれた時間」がわからないと『命盤』が作れないからなのです。また、はじめは命盤の作成にも時間がかかり、見慣れない漢字が多く使われるため敷居が高く感じてしまうからでしょう。
時代を経て、わが国民も「母子手帳」に生まれた時間を正しく記入する習慣ができました。
ようやく最近になって、星の数を減らし、秘伝も公開されるようになったおかげで広がりはじめました。
しかも占星術としての精密度が高く、現在でも台湾や香港では盛んに行われ、書籍も数多く出販されています。残念ながら、そのほとんどが和訳されていないため、日本にはあまり馴染みがないのでしょう。